参加者:L福村(3)、EF唐木惇生(2)、H木村(2)、WsL長谷川(2)
8月19日 晴れ
最初は8人になるか9人になるか悩んでいたのに、夏合宿後事故などでどんどん人数が減って行き、最終的には参加人数は4人。13:00に高尾駅集合。13:24発小淵沢行きに乗った。岡谷で飯田行き快速に乗り換える。平野部は晴れているが、中アには厚い雲が立ちこめており、少し不安になる。19:11飯田着。天竜川の方では大きな花火をやっていた。飯田市中心部の定食屋で夕飯。ここで自分は、テストをほとんどノー勉で受けた物性化学が落とすと即留年であることを福村さんと唐木から知らされる。入山前から暗雲が立ちこめている。飯田駅周辺の適当なところで各自バラバラに寝る。
8月20日晴れのち曇り、14:00頃から雨
6:00飯田駅前―(タクシー)―7:20黒川にかかる橋の少し先―8:00(摺古木自然休憩舎)8:15―9:10(分岐)9:25―(10:05摺古木山通過)―10:25(摺古木山より2つくらい先のピョコ)10:40―11:25(シラビソ山1つ手前のピョコ)11:40―12:48安平路避難小屋着〔5P、268分〕
バス停で寝ていた自分は、高速バスのエンジン音で目が覚める。高速バスがひっきりなしにやってくる。朝飯を食べて、事前に予約してあった飯田タクシーが6:00に来るまで待つ。時間通りにタクシーがやって来てそれに乗り込む。人数が多いと車高の高いジャンタクで林道の奥まで入れるが、今回は人数が少ないのでクラウンコンフォートだった。大平まではカーブは多いが普通の舗装された道。東沢林道はかなり荒れた道だったが、腹をすりながらもタクシーは進んでくれた。特に岩がゴツゴツしているところでは、車高を上げるために全員車から降りたりした。運転手さんに言わせると、摺古木自然休憩舎までの客は「ババ」だそうだ。途中「一般車両通行止め」の標識があったが、運転手さんは「これは一般車両じゃないからねぇ」とパスしてくれた。しかし黒川の橋を渡った直後に「全車両通行止め」の標識があり、さすがの運転手さんもこの先どうなっているか分からないということで、ここから歩くことにした。飯田駅からの料金は8380円。ここから30分程歩くとトイレがあり、その裏で水が汲める。そこから100m程進むと休憩舎があり林道が終っており、車が1台止まっていた。あの標識は何だったのだろう?ここで装備を整え、福村さんに水を1発汲んでもらって出発する。道はしっかりしている。笹を刈り取った直後のようで、笹が道に散乱していた。1950m付近で沢を渡った後、岩に少し取り付くところがあるが、大して問題はない。この後1970m付近で道は沢を横切っているのに、沢沿いに進んでしまっておかしいなというようなことがあったが、すぐに道に戻れた。摺古木山へ直登する道と展望台へ行く道との分岐でたるみ。この先自分たちは展望台への道をとる。分岐から最初に出会う沢で水を汲むが、この先2、3カ所水を汲めるところがあった。尾根上に出ると曇って来た。しかし晴れていても木立にさえぎられて眺望は望めそうに無い。ここから安平路までなだらかな稜線の道で、道の上を笹が覆っている部分が多いが、赤布がついていて迷うことはなかった。植生は笹が一面を覆っているところに低密度に針葉樹(しらびそ?)が生えているといったもので、恵那山などで自分に取っては馴染みの光景だが、福村さんは好みに合わないと言っていた。安平路避難小屋は笹原の中に建つ丸太造りの綺麗な建物。ここから自分と福村さんで水を汲みに行く。水は避難小屋から2138コルを越え、ベロのつけねあたりから湧いている沢に降りて取る。摺古木方面から行くと水場の看板があり、道からでも水の音でわかる。沢は下の方に降りると水量豊富な別の沢が流れ込んでいて、そっちから汲んだほうが楽。小屋に戻ると雨が降り出した。ブラウンシチューを食べ、薪を探しに上毛下、下パンツという格好でウロウロしていたら安平路山方面からおじさんが2人やって来た。1人は神戸の人で倉本から空木に登り、伊那側の旧越百避難小屋跡でテントを張って泊まった後、ここまでやって来たらしい。途中でテントを落としたらしく、もし拾ったら届けてほしいと言われた。もう一人のおじさんは、京都の人で木曽福島から木曽駒を打って、空木平の避難小屋で泊まり、そこから1日でここまで来たらしい。キョウジンである。おじさんたちの方が我ら若者共より元気がいい。そのおじさんたちの話を総合すると、木曽殿越の木曽の力水はかれている、檜尾の避難小屋では水は汲める、旧越百避難小屋跡では沢から水が汲める、安平路から先の薮は微かに残る道の跡を忠実に追った方が楽とのことだった。木村は濡れた物を乾かしたいらしく、小屋の中でたき火をしようと粘っていたがあまりうまくいっていないようだった。暗くなるまでだらだら過ごして、暗くなってから小屋の中で福村さんの差し入れの3本の花火をやった。花火ははかなかった。自分の進学もこの花火のようにはかなく散るのだろうかと思いながら床についた。
8月21日夜明け前に断続的に大雨後曇り、昼過ぎから遠くで雷鳴、夕方強い雨
5;50安平路避難小屋発―6:55(安平路山)7:10―8:20(小茂吉沢頭1つ手前のコルの直下)8:35―9:35(浦川山)9:50―(10:25松川乗越通過)―10:40(松川乗越より1つ先のコル)10:50―11:45(袴腰山)12:25―13:25(袴腰と奥念丈の間のコルから急登を登り切ったところ)13:45―14:45(2280コル)15:00―15:40サイト場着〔8P、460分〕
3時起床。外では雨が激しく降っている。唐木によると、1時位から強い雨が降ったりやんだりしているらしい。朝飯はシャケフレークご飯とスープ。4時半出発のつもりだったが、まだ暗いのと雨が強いのとでしばらく様子を見ることに。自分は天気予報を聞くためにラジオを聞き、他は再びシュラフに潜り込んだ。ここで停滞することも考えたが、予報に寄ると南関東は好天、北関東は不安定な天気で明日になると全体的に不安定な天気になりそうなので、停滞してもしょうがないということで、雨足が弱まった5:50頃出発。水場で水を全発にした。安平路山までは今までと変わらない笹に覆われた道。水場から安平路山までは意外とサックリ登れた。安平路山頂は木立に囲まれており眺望はない。奥念丈岳への案内標識もあるし、それらしい方向には踏み跡と赤布がたくさんあった。ここから唐木と自分がトップをやることにする。方針は赤布を追って行くことにして、適当なところで角度を切ることにした。赤布に従いある程度降りたところで赤布が見えなくなったので、角度を切って行くことにした。あまりはっきりしない稜線だなと思いながら、踏み跡も赤布も全くない稜線っぽいのをかなり下ったところで稜線がなくなり急斜面になっていた。少し上に登ると、左方向のかなり離れたところに正解尾根と思われる稜線がぼんやりとみえた。どうやら右側の飯田松川の谷に降りる稜線に落ちてしまったらしい。元来たところを戻ると、かなりの急斜を登り返さなければならないので、斜面をトラバって正解尾根へ行くことにした。笹の斜面をトラばるのは結構きついなと思いながら、40分程トラばり沢の跡みたいなところを詰めると、正解尾根直下の笹丈が低く緩斜の所に出た。ここでたるみ。唐木がかなり消耗していた。薮1P目からとんだ目にあった。先が思いやられる。時計を見ると、今日中に越百避難小屋に出るのは結構厳しい。一応、浦川山10:00というリミットを設けたが、後になって考えると、浦川山より先にもサイト可能な場所はいくらでもあるのだから、ここでリミットを設ける必要はないような気がする。正解尾根に出ると、立派な踏み跡がついていて赤布がたくさんあった。方針を踏み跡、赤布を着実に追うことにする。ここから先、踏み跡がだいたい続いており、所々消えるところがあるが、赤布を追って行けば迷うことはなかった。浦川山までは小さなピョコをいくつも越えて行く。そのうちのピョコの1つで、神戸のおじさんのと思われるテント袋を拾う。これは福村さんに千畳敷まで歩荷していただいた。浦川山から松川乗越までは急な下り。以前道だったらしく、溝のように深く削れていてその上を笹が覆っている。階段の跡のようなのも残っていて、笹に覆われていて見えないのでうっかりすると足を取られかねず、歩きにくかった。松川乗越からは急な登り。事前に福村さんと木村が松川乗越辺りは角度的に難しいだろうと話していたが、相変わらず踏み跡が続いており、それに従って行けばよい。しかし踏み跡を外すと歩きにくいだろう。袴腰山にはプレートがかかっていて、降りて行く方向に赤布、踏み跡が続いている。袴腰山を越したコルは右側が崩壊しており、左側にはガスの合間から念丈岳が見える。まだアルプスとは言いがたいが、摺古木辺りよりはずっと険しく、アルプスに近づきつつあるなと言った感じである。奥念丈手前辺りから笹に灌木やシャクナゲが混じりだし、踏み跡もはっきりしないところが多くなるが、灌木やシャクナゲを避けて稜線上を右に左にと歩いていると、赤布が見つかるのでさほど困難はない。この辺りから唐木の歩みが目に見えて遅くなる。膝が痛いらしい。北の方から雷鳴が聞こえて来たのでラジオで空電を調べながら歩く。空電は30秒毎くらいで入っていた。福村さんに、このまま進むと雷雨に巻かれる可能性があり、奥念丈先の2280コルでサイトしてはどうかと言われた。自分は、明日の行動時間もそう短くは無いので、行けるところまで行きたいという考えだった。結局2280コルでサイトはできたが、先に進むことにした。自分は2454先のコル辺りまで行くつもりであったが、空模様が悪くなったのと、この先が急登で唐木の足がもつかどうか心配だったので2280より1つ先のコルでテントを張ることにした。水が限られているので今日の夕飯と明日の朝飯をジフィーズにして、明日旧越百避難小屋跡の沢で全発水を汲むことにした。テントを張って中にいるときにかなり強い雨が降って来て、フライに水がたまり、その水が中にしみてくるので木村が雨の中直しに行った。お疲れ様です。全小屋泊の爽やかあっさり山行にするつもりが、なんで薮サイトをしているのだろうと一人くさっていた。
8月22日 早朝晴れ間がのぞく、後曇り時々強い雨、昼頃から雷鳴多発
5:05出発―5:50(2454先のコル)6:05―7:10(南越百山)7:30―7:50(シオジ平への分岐、木村と福村さん水汲み)9:00―(9:15越百山通過)―9:45(2562手前のコル)10:00―10:55(仙涯嶺から少し下ったところ)11:10―11:55(南駒ケ岳手前の急登を登りきったところ)12:10―12:30(南駒ケ岳)12:50―(13:30赤梛岳通過)―14:30駒峰ヒュッテ着〔8P、395分〕
3時起床、4時50分出発。空には星は見えないものの、雲は薄い。今日は出発早々急な登り。急登を登り切ったところでたるみ。この辺りまで来ると笹は勢力を弱めてきて、南越百、越百、越百小屋が見えだす。2454先のコルではまた笹が茂っていたが今までより明るい印象を受けた。ここでサイトもできるだろう。南越百の登りはシャクナゲとハイマツ。ここでも踏み跡、赤布はしっかりついている。薮抜けは2500くらいではないだろうか?ハイマツの樹高が低くなったと思ったら、いきなり高山植物の咲くアルプスの道へと入る。思わぬ薮サイトを強いられただけに薮抜けのうれしさはひと際大きい。南越百頂上で薮装を解く。南越百山頂では少し晴れ間がのぞいたので西方に御嶽がうっすらと見え、南方には遠くに恵那山が浮かんで奥念丈をはじめとする稜線が見える。今までこいで来た薮稜線をバックに記念撮影。シオジ平方面への道との分岐の所で、唐木と自分が残り、福村さんと木村に旧越百避難小屋まで水を汲みに行ってもらう。この先のどこで泊まるかについて摺鉢窪避難小屋、空木平の避難小屋、駒峰ヒュッテ、木曽殿山荘の4つがあるが、空木平の避難小屋は登り返しがきついということで渋ったので、摺鉢窪避難小屋か木曽殿山荘に泊まることにした。またこの時千畳敷から唐木を降ろすことを決めた。70分程で木村と福村さんがもどってきた。旧避難小屋までの道はしっかりしていて、旧避難小屋は道が左に曲がって右に折れ返った先にあり、水は少ないという訳ではないが非常に汲みにくいとのことだった。膝が痛いと言う唐木の水と共装を抜いて他の3人に振る。唐木以外は全員水3発。薮の時より重くなっていた。越百山はガスっていたので通過。越百山から仙涯嶺まではなだらかな道で特に危険な所はない。山頂付近に花崗岩の巨石が仙涯嶺は2734より先の岩場だとおもっていたが、後で地図で確認したら、2734みたいである。2734より先の岩場は左巻きで道がついており、ここから急な下りだがそんなに危険というわけではない。仙涯嶺付近から強めの雨が降り出す。2628コルからの登りは急でしんどかった。高山植物に混じりトリカブト咲いていた。高山植物に混じるとトリカブトもなかなか綺麗である。木村はここにあるトリカブトで何人殺せるとかトリカブトの毒のまわるのを遅める物質を使ったトリック殺人の話をしていた。要注意人物である。南駒ヶ岳手前のピークで天気予報を聞きがてらたるみ。ここで初めてNHK長野の予報が入った。今までNHK名古屋の予報しか入らず、岐阜県南部の予報と静岡県の予報の中間をとるといういい加減なことをしていたので、長野県内の詳しい予報は大助かりである。予報に寄ると、上空に湿った空気が流れ込んでおり、今日明日と不安定な天候が続くらしい。木村は「南駒ヶ岳で晴れたら何もいいませんよ、長谷川さん」と無責任なことをいう。この台詞を空木でも、宝剣でも、木曽駒でも聞いたが、どのピークでも俺の神通力で晴れた気がする。南駒ヶ岳ではガスが切れて、目指す空木方面と仙涯嶺・越百方面がよく見えた。赤梛岳東方の百間ナギの崩壊は壮観。しかし遠方から雷鳴が聞こえ、空電も断続的に入る。赤梛岳の手前で雷雨にあったら、摺鉢窪避難小屋に泊まることにして、赤梛から空木の間で雷雨にあったら駒峰ヒュッテに逃げることにする。赤梛岳はガスの中。北東方向で盛んに雷鳴が聞こえる。道はそんなに怖い所はないのだが、雷雨に巻かれないかそれだけが気がかりだった。赤梛からのくだりで雨も降り始める。赤梛と空木の間のコルでたるもうかと思ったが、福村さんがモタモタしていると雷雨に巻かれるというので駒峰ヒュッテまでノンストップで行くことにする。空木への登りはそんなに急ではないのだが、ロングピッチによる疲れと、雷の恐怖から自分に取っては今山行の中で一番辛買った。木村が駒峰ヒュッテへの巻き道らしいのを見つけたが、はっきりしないので、今回はパスして空木山頂からおりることにする。空木山頂も早々に通過して、14:30頃駒峰ヒュッテ着。我々が駒峰ヒュッテ到着直後に土砂降りとなる。駒峰ヒュッテは素泊まり3500円。宿泊者は自分たちの他に2人。水は飯付きの宿泊者には無料だが、素泊まりの宿泊者は1ℓ200円。しかし今回は雨が多く降ったということで4ℓ分無料で頂いた。小屋のノートにS学会の陰湿なイジメに遭い、自殺をしようとここまで来たが、山の風景を見て自殺を考え直したという人の書き込みがあった。東京のS町に本拠のあるS学会だろうか?15:00頃からサイトを始め、ポークカレーを食す。木村と福村さんは2合分食べていた。皆お疲れなのね。食事後だらだらしていたが、18:00頃から空が晴れ始めたので皆サンダルで空木頂上に登る。頂上からは夕暮れの空のもとに北は木曽駒、宝剣、三沢、はるか遠くに乗鞍等が見え、南には恵那山、越百、南駒などが見えた。西には御嶽こそ見えなかったが、糸瀬山や、裏木曽方面の山々が夕日に照らされていた。改めて見ると今山行は長い。木曽山脈は稜線上はなだらかだが、斜面は急であるという木村の言葉に妙に納得する。駒峰ヒュッテに戻り、小屋のおじさんが用意してくれたストーブのそばでワンゲル道山行では遅い部類に入るであろう8:00近くまで話に花を咲かせたのであった。
8月23日 晴れ後曇り、夕方少し雨
4:50駒峰ヒュッテ発―5:00(空木岳)5:30―6:05(2782)6:15―7:00(木曽殿越)7:10―8:10(2703付近)8:20―9:00(熊沢岳)9:10―9:55(2680コル付近)10:05―10:40(檜尾岳)10:50―12:00(濁沢大峰)12:15―13:00(2711先のコル)13:15―14:00(島田娘)14:10―14:45(千畳敷)15:25―15:50(宝剣山荘への登りの途中で天気予報と天図)16:25―(16:40宝剣山荘で空身にする)―17:00(宝剣岳)17:10―17:20(宝剣山荘)17:30―17:50頂上山荘着〔14P、555分〕
いつも通り3:00起床、他の宿泊者に気遣いながら、唐木自慢の麻婆春雨雑炊を作って食す。自分にとってはうまかったような気がする。4:45空木頂上でご来光を見に出発。今朝は昨日の夕方見えたのに加えて、御嶽がはっきりと赤石連峰が微かに見える。木曽側伊那側双方とも雲海に覆われていて、山々が島のように浮かんでいる。5:15分頃雲海から太陽が昇る。自分にとって初めてのアルプスからの御来光。今までいろいろな目に遭いながらも縦走して来た甲斐があったと思った。5:25くらいから空木を下り始める。空木からの下りは上部で怖い所が連発する。花崗岩だと岩質的に滑りにくくはあるが足の置き場に注意が必要。空木からの下りの下部はあまり急ではないが、前夜に木曽殿山荘で泊まり今朝空木を目指していると思われる中高年が列をなして登って来た。これらの人が全部木曽殿で泊まっていたとすると、昨日は小屋に空きがあったのだろうか、もしあのまま進んでいたら泊めてもらえなかったかもしれないと思った。東川岳の登りは急だが東川岳から熊沢岳までは比較的平坦。強い日差しが頭上に降り注ぐ。アルプス経験がある他の3人は帽子をかぶっていたが、自分だけ帽子を持ってこなかった。馬鹿だったとひどく後悔をする。熊沢からの下りで足場の不安定な所があったが、注意すれば行ける。檜尾先のコルを越えた登り返しの所に鎖場の登りがある。中高年の団体さんが降りて来てそれをやり過ごすために待っているときに、顔に怪我をして首に巻いたタオルに血が付いている人がいてちょっと驚いた。その先のピーク上に比較的大きな血痕が残っていて多分さっきの人のものだろうと思われた。2711付近から島田娘がその名に似合わず我々を打ちのめすが如くそびえている。この付近では森林管理局が高山植物植生保護のために道の両側にロープを張っている。さすが中央アルプスの2メインピーク木曽駒と空木を結ぶ道だけあって通行人も多いのだろう。極楽平から千畳敷までの下りは今まで稼いだ高度をまた下げなければならないのかと思う程に急に下がって行く。そう思う程自分らも疲れていたということか。千畳敷は下界ムードがムンムン漂っていて、誘惑も多いが自分は歯を磨く程度に抑えた。スカートにサンダルで来ている人たちの中で自分らは明らかに異様だった。しかし携帯は通じなかったし、公衆電話もなかった。唐木からF装やコッヘルを受け取り、サイマスゴミや神戸のおじさんのテントを託して、電話が通じる所に出たら緊急連絡先の小寺さんに連絡するよう言って、唐木をロープウェイで降ろした。ロープウェイ千畳敷駅のトイレで水を5発汲んで、残された3人で千畳敷からの急な登りを登る。観光地化されているとはいえ、高山植物はこの辺りが一番豊富だったと思う。登っている途中で天気予報と天図のために一旦泊まる。天気予報は好転していた。後から登って来た人たちによると宝剣山荘は満杯だそうだ。疲れ気味で宝剣山荘か天狗荘で泊まりたいと思っていた自分はへこみ気味だった。実際行ってみると宝剣山荘と天狗荘には学校登山と思われる中学生が蛆のように集っていて、空いてるか聞く気力もなく、駒ヶ岳と中岳の鞍部にある天場に泊まることにする。天場に行く前に宝剣を空身でピストンすることにする。宝剣への登りの下部は危険箇所はない。上部にはスリリングな所もあるが空身であるせいかサクサク行けてしまった。宝剣山頂の岩の上に一人ずつ立って登頂の喜びを味わう。今から中岳頂上に立つ気になれず、中岳は巻く。巻き道の入り口に「危険箇所あり」の警告があったが全く問題ない。テント場にテントを張る際は、そばにある頂上山荘に1人辺り600円を払う。テント場利用客は頂上山荘のトイレが無料で使え、しかもトイレの水道から水が汲める。テントが張れたら、木村と福村さんでサイト。自分は天図の完成。夕飯はポトフとご飯。自分は3合米を出したので腹一杯食べることができた。木村と福村さんは食いあぐね気味。疲れていて茶飯を作る気力もなかったので、そのまま寝た。
8月24日 晴れ
5:50出発―6:05(木曽駒ケ岳)6:25―7:25(八合目少し手前)7:35―8:25(七合目避難小屋)8:40―9:20(五合目)9:30―10:15(幸ノ川徒渉地点)10:30―10:55木曽駒高原新和スキー場着〔5P、235分〕
3:30起床のはずが、皆起きたのが4:00過ぎだった。早速サイトにかかると言いたいところだが、自分は昨日までの疲れがまだ残っていてモタモタしていた。朝飯はカレーうどん餅。夏合宿で恐怖のカレーうどん餅を食わされた福村さんは神経過敏になっていた。福村さんの努力の結果、汁たっぷりでうどんと餅の区別がつくカレーうどん餅ができた。美味しかった。外はガスっていて御来光は望めそうにないという思いからか、自分と木村の撤収・パッキングが極度に遅い。反省。ガスの中5:50出発。15分程で木曽駒ヶ岳頂上に着く。山頂は辺り一面ガスっていたが、10分程粘っていると伊那側(東側)のガスが消え、日が射して来た。そのことによって、ブロッケン現象を見ることができた。虹のような輪の中に自分の影が浮かび、その影が自分に近づいてくる。これも自分にとって初めての経験だった。昨日は空木山頂で御来光、今日は木曽駒山頂でのブロッケン現象、今山行はある意味天候に「恵まれている」。これも駒ヶ岳神社の霊験だろうか?
今までレポートに未練を持っていた福村さんに、馬籠から見る恵那山の雄大さを説いたら、レポートを諦め、馬籠に行ってみたいと言い出した。いいことなのかどうかわからないが、馬籠の町は一見する価値はあると思う。(自分はもう3、4度行っているのだが)。木曽駒から木曽福島へと下山路を取る。玉の窪山荘の前には木曽前岳がそびえている。南から木曽山脈を縦走した暁に木曽側の前峰である木曽前岳に登るのも良いと思ったが、今回はコースに取っていないので諦める。玉の窪山荘から先の木曽福島コースはしばらくは、通る人も少なく歩きやすい良い道である。八合目の水は沢から汲む。水量は豊富ではなく、汲みにくく、水場周辺にさびた缶が落ちていたりして、清潔な印象は受けなかった。今回はここでは汲まなかったが、涸れる恐れはあまりないと思うので逆入山したとき等は当てにしても良いと思う。八合目から先は道は少し険しくなり、木曽名物桟道が出て来たりする。桟道は作りはしっかりしているが、木製なので雨の降った後等は滑りやすいかもしれない。七合半の標識を過ぎると山姥と呼ばれる岩場に出る。大きな岩がごろごろしていて意外と手強い。七合目の避難小屋は1999年9月に焼失したが、最近新しく建て直された。綺麗なのでつい泊まりたくなる。小屋のそばにある木に大きな鐘がかかっていて(熊よけ?)、木村が「ワーイかねのなるきだ」とその木に近づいて行き、鐘の下で「いま鐘を鳴らすと思っただろう。鳴らさねーよ。」と言いながらカーンカーンと鳴らしていた。この辺りから下界が近いせいか木村のペースとテンションがどんどん高くなって行く。ごめん、お前には着いて行けない…。七合目からBコースを取る。この辺りから針葉樹の樹林の中を通る。南部の安平路辺りと標高は一緒くらいだが雰囲気が全く違う。こちらには笹が見当たらず、そのかわりこけ類やシダ類、低木がたくさん生えていた。同じ山脈に属しているのに南部と北部(西側と東側)ではこんなにも植生が違うのかと少し驚いた。自分としてはこっちの方が好みだったのだが。木村はますますペースを上げる。こちらはもう完全に着いて行くのを放棄していた。木村がいきなり「山で自殺を諦める人もいれば、レポートを諦める人もいる。単位を諦める人もいる。」と意味深なことを言う。自分は単位を落として留年したくらいで自殺なんてしないのにと思った。四合半の水場は見当たらなかった。四合半から四合目にかけては急な下り。四合目付近で幸ノ川を徒渉すると林道に出た。ここからスキー場までは20分程度の林道歩き。スキー場は季節はずれということでトイレにまで鍵がかかっているが、そばにある宿泊施設等で電話が借りられる。ついでにドコモの携帯なら通じる。Hill Topというペンションのような所で木曽福島のタクシー会社に電話をかけ駒の湯まで送ってくれるよう頼んだ。電話をかけてから20分くらいでタクシー到着。駒の湯まで乗せてもらう。料金は2440円。駒の湯は綺麗な温泉。日帰り入浴700円。入浴後同じタクシー会社に電話をかけ木曽福島駅まで送ってもらうよう頼む。駒の湯から木曽福島駅1850円。木曽福島駅前の食堂で打ち上げた後解散。福村さんは奈良井・馬籠へ、木村は岡山へ帰るか小屋祭に行くか北アに行くか迷った挙げ句、結論を先延ばしするために松本へ、自分は名古屋の実家に一旦戻った後小屋祭へと向かったのでありました。
〔全体40P、1913分〕
まとめ
御来光やブロッケン現象などある意味で天候に恵まれた。人数が少なかったので準備段階は大変だったが、行動中は比較的融通が利いたように思う。しかし唐木の足が不調になったあとは、他の3人の負担が大人数山行のときよりかなり大きくなってしまったと思う。
大平から木曽駒までの縦走企画は、今回は4泊5日で完遂できたが、次の計画者は5泊6日(例えば安平路避難小屋、越百避難小屋、摺鉢窪避難小屋、檜尾避難小屋、木曽福島七合目避難小屋泊)で企画すべきかもしれない。4泊5日だと10P近く行動する日が続き、そのためサイト地に着く時刻が遅くなり、常に夕立や雷に怯える羽目になる。特に今回は2日目朝の大雨による出発の遅れと、安平路からの尾根から落ちるという失敗によりその日のうちに藪抜けできず、その遅れが木曽駒ケ岳頂上山荘まで響いたと言えるのではないか。
今山行は、藪で落ちてしまったときのリカバーや水計算、アルプスの雷など企画者として学ぶことが多い山行だった。今度は個人山行なり何なりで、大平宿に泊まり02エトバスにある摺古木から大平までの稜線や、恵那山周辺をさまよってみたい。
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